大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和29年(オ)485号 判決 1957年12月19日

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

本件における特別定期預金(無記名定期預金)は、預金証書面においては債権者の氏名を記載せず無記名ではあるが、その債権の性質は無記名債権ではなくして、一種の指名債権であることは、原判決の判示するとおりである。そして、上告銀行もこれを認めるところである。

この無記名定期預金制度は、その利子に対しては低率の源泉課税をするだけに止め、預金を無記名とすることによつて総合課税の対象としないことを眼目とし、その狙いとするところは、インフレーションの防止に資せしめるための一手段として、金融機関の取扱う貯蓄の増強を図ろうとするものである。金融機関は、預金証書を無記名で発行し、金融機関には預金者の住所氏名を届出でせしめずただ印章だけを届出でせしめる。支払期が来ると金融機関は、預金証書および印章を呈示した者に対し、元利金の支払をする。そして、かかる支払によつて金融機関は免責されることが、一般に預金証書面で特約されている。そこで、支払期に預金証書および届出の印鑑を呈示して支払がなされる通常の経過をたどる限り、金融機関の業務は円滑に行われ、何の問題も生じない。しかし、社会の実際においては、そのように運ばれない様々な故障によつて、時に種々な問題をおこす。本件において原判決の認定するところによれば、被上告人が自己の金員十万円を訴外村山包治に交付してこれを上告銀行小田原支店に対する特別定期預金として預入れることを委任し、右村山がこれを同支店に持参して特別定期預金として預入れたものであるが、その際同人はその姓の「村山」ときざんだ印章を同預金の印鑑として届出たものである。さらに、原判決は、本件の真正な預金債権者は被上告人であること、預け入れの際村山包治が自分の印鑑を用いてはいるが同人が被上告人の金員を横領して自分の預金としたものでないこと、村山が相殺の際本件預金証券を提出していないことを認めている。

普通預金預たると、普通の定期預金たると、本件のような無記名定期預金たるとを問わず、すべて預金の支払は、真正の預金債権者に対してなされてこそ弁済の効力を有することは、債権法の通則である。ただ本件無記名定期預金においては、支払を請求する者が、預金証券と預け入れの際に届け出でた印鑑を提出することを要し、またこの手続をふんで上告銀行が支払をなした場合には、それがよしや真正な預金債権者でない者に支払われたとしても、上告銀行が免責されることは、所論のとおりである。しかし、本件においては、前記村山包治が、預金証券を提出することなく、届出印鑑を提出しただけで、自己が上告銀行に対して負担する債務と本件無記名定期預金債権とを相殺したものである。預金証券を提出せず、届出印鑑のみを提出した真の債権者にあらざる者に対し、上告銀行が本件預金の支払をした場合にその支払によつて預金債務につき免責を得ないと同様に、前記相殺によつて上告銀行が本件無記名定期預金債務につき免責を得るものということはできない。また村山が債権の準占有者であるという主張は、原審においてなされていないところである。したがつて、上告銀行に対し本件預金債務の支払義務を認めた原判決は結局正当である。それ故、かりにその余の点につき原判示に所論のような違法があるとしても、その違法は原判決の結論に影響を及ぼさないものであり、論旨は結局民訴三九四条に定める適法な上告理由に該当しないものといわなければならぬ。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 真野毅 裁判官 斉藤悠輔 裁判官 入江俊郎 裁判官 下飯坂潤夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例